舞台裏のダイコンたち after
東京で演劇活動を行っている大沢ギンペイのブログです。趣味とか演劇とかいろいろと。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
ストーリーを分析しよう 1
 ふおおおお……

ミ「どうした。プリごろ太のフランス語版にでも遭遇したか?」

 違う。とてもつまらない映画を見た。

ミ「ほほう。どんな風に。」

 映像はキレイだったんだ。音楽もとても好みだった。でもそれ以外が殆ど駄目だった。
 演者の台詞も棒読みだし、なによりストーリーラインが悪い。単にエピソードを配置しただけのストーリー。エピソードや行動の合理性も全然見えない。
 あんなの見せられても、視聴者は「ふーん、そうなんだ」としか言えないよ。
 CMを見て期待していた作品だけに、劇場に行かなくて良かったとほっとした。一応最後まで見たけど、時間の無駄だったかもしれない。

ミ「そこまで言うか。でもタイトルは出さないのな。」

 うーん、これが、素人なりに作品を供給する側の辛いところで。

 作品の消費者には、作品を批判・批評する権利があると思う。これは、何かの決まりや理論に立脚するわけではない、私個人の主義だ。世の中には、批評の権利を正当化するための理屈が存在するのかもしれないけど、まあ私は知らない。
 で、私は当然、大多数のケースにおいて作品の「消費者」なんだけど、もう一方で戯曲の作者という「生産者」の顔も持っている。といったって、完全オリジナルで公開にこぎ着けてる作品は『AMMP[aemp]』だけなんだけどね。

 ただ、ここでは特に、演劇の関係者として発言している。
 それだけに、特定の作品をこき下ろす発言を不用意にしてしまうと「だったらお前はどうなんだ」「素人が何様のつもりだ」という話になってしまう。自分が素人なのは、それはもう自覚してるから。高みにいるつもりはないです。すんません。

ミ「だから、ここでもけなす作品のタイトルは出せないと。」

 褒めるんだったら、いくらでもタイトルを出して、両手離しで褒めるんだけどなぁ。

ミ「と、これで終わるわけにもいかないだろう。中身があることなんか書け。」

 ……どうしようか。

ミ「ふむ、じゃあ、お前が『どうして』その作品を面白くないと思ったのか、きちんと分析してみろ。自分で脚本を書くときの注意項目にも流用できるだろ。」

 おお。やってみようか。

ミ「お前はさっき、何て言ってた?」

 (①)演者の台詞も棒読みだし、なによりストーリーラインが悪い。(②)単にエピソードを配置しただけのストーリー。エピソードや行動の合理性も全然見えない。
 (③)あんなの見せられても、視聴者は「ふーん、そうなんだ」としか言えないよ。

ミ「さて、具体的にはどういう問題があったんだ?」

①演者の台詞が棒読み

ミ「これに関しては、やめとけ。」

 なんで?

ミ「お前が人の演技にケチ付けても、脚本以上に『お前が言うな』だ大根役者。」

 あ……。うん、やめとく。

②エピソードを配置しただけの、合理性に欠けるストーリー

ミ「これは何だ?」

 うん、ストーリーを作る際には、きちんと「人格」を書かないといけない、というのが、最近富みに感じていることだ。
 フィクションの物語というのは背後に「作者」という「神様」を抱えていて、作者は登場人物に行動を割り振る。で、なんて言うかな、作者が登場人物に与えていいのは「人格」と「状況」だけだと思うんだ。
 人格とは、それまでどのような経験を蓄積してきたかという「記憶」と、状況に対する行動の「傾向」。人格を持った複数の登場人物が、「状況」の中で判断を下し、「行動」していく。こうして生まれていくのが「物語」。ここまではいい?

ミ「まあ、分かることにしよう。」

 そうしよう。
 そうやって、持っていた「人格」と周囲に現れる「状況」がからみついて、登場人物の「意志」と「行動」を生み出していく。これを逸脱してしまうと、いい物語は作りづらい。

ミ「ストップ。どういうことだ?」

 言い方を変えよう。こっちもあんまり分かりやすい言い方ではないけど、要は「合理性を構築しろ」ってこと。

ミ「……あー……?」

 う~ん、私自身、かみ砕いて説明できるほどに自説を整理できてないんだけど。
 フィクションの人物は、何らかの「理由」なしに「行動」しちゃ駄目ってことだよ。
 そういう「理由」を上手く構築できないでキャラクターを動かすと、「ご都合主義」なストーリーになる。
 もし「自分勝手なキャラクター」なのだったら、なんの理由もなしに人助けをすることはあり得ないだろう。人を助けるなら、その人が特別な人なのか、助けることで利益を得られる相手なのか、はたまた、他の登場人物との絡みの中で、「自分勝手な性格」に変化が表れたのか。
 単に「ラストシーン前だから、ここらで感動的なシーンを入れよう。こいつは、子供をかばってトラックに轢かれることにしよう」というのでは駄目ですよ、と。作者にそういう意図があるのは構わないから、物語の中でもそれなりに必然性を稼げよ、と。

ミ「分かるような、分からないような……。」

 うん、まとまらなくなってきたから、今回はここまで。
 次回の更新で続きを書こう。
 この記事に関する意見・反論・質問があれば、コメントを下さい。筆者が喜びます。
(どうなることやら:ギンペイ)


東大生ブログランキング
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
copyright © 2005 舞台裏のダイコンたち after all rights reserved.
Powered by FC2ブログ.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。