舞台裏のダイコンたち after
東京で演劇活動を行っている大沢ギンペイのブログです。趣味とか演劇とかいろいろと。
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怒られた……
 2月に入ってからだったと思います。演出さんたちから釘を刺されたのは。

要約:急に休むな遅刻をするな、私たちの苦労も考えろ。

 もっともだと思い、心がけを少し変えるよう努めました。
 5分くらいの遅刻は仕方ないという甘えた状態から、せめてジャストオンタイムには集合できるように。で、そのあとは実際、過失による私の遅刻はなかった? かな?

 それでもまだ、私のワキは盛大に甘かった。
 ケチがついたのは、予定管理に手帳を使わず、予定告知のメーリングリストに依存していたことでした。
 この種のMLは、とりあえず練習予定日を告知するメッセージが送られた後、会場が取れ次第、五月雨式にメッセージが回されます。どちらか一方を参照するだけだと、情報としては不完全、それを甘く見ていました。

 私が参照していたメッセージによれば、今日25日は特に練習がない日。
 昨日の練習で疲れていたので、それこそ一日寝ていました。

 そんな私に、夜7時半に届いたメール。

from:製作
今日の練習には来られますか?

 What?
 見落とし?

 ……今から出ても、練習時間内につけません。ごめんなさい。
 謝罪と軽い事情説明(練習予定を見落としていた)のメールで返信しました。

 製作さんからさらに返信。
 要約:急に休むな遅刻をするな。私たちの苦労を考えろ。あんたホントに分かってる?

 ……遅刻するまいという多少の努力は、大きなミスの前にあっさり吹っ飛びました。一ヶ月足らずの内に、同じ内容で説教される22歳……。
 明日は朝から練習だから、直に会ったときにもう一回謝っておきましょう。
(……。:ギンペイ)
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久しぶりだね縮小更新
 すいません、しばらく潜伏してしまいました。
 不穏な記事を最後に期間を空けてしまいましたが、ブログの終了宣言ではありませんよ。

 なんと明日は、東京大学の2008年度入学試験一日目です。
 未来のRadisherが何人も受験する筈のしけんなのです。

 受験生の皆さんの健闘をお祈りしつつ。
 おやすみなさい。
(ギンペイ)
面接に関して
ざんねん!! わたしの ぼうけんは これで おわってしまった!!
(ギンペイ)
ニホンゴはどう難しいのか
 し~け~ん~終わったああ!!

ミ「おつかれさん。何教科あったんだ?」

 2教科。

ミ「……。前回の記事は、多少の反響(というか反応というか)があったみたいだな。」

 あったよ。
「びっくりするほど非常にまともな内容の記事ですね(笑)」だってさ。
 これじゃあまるで、普段の記事がまともじゃないみたいじゃないか。
 ほらこんなにまともな記事が……記事が……。

ミ「去年の12月のログまで漁って調べたみたいだが、胸を張って『まともだ!!』と言い切れる記事はあったか?」

 なかった……。

ミ「現実はかくも残酷なものよな。」

 で、もう一つ。別の読者さんからの反応。
「辞書にのってりゃ『正しい』のか。言葉は変化するものだろう。」と。

ミ「尤もだな。」

 尤もだ。
 まあ、難しいことを考えてしまえば「正しさ」を規定するのがどんなに大変か。
 では、持論を展開してみようか。

ミ「また読者が逃げるぞ。」

 すんません、堅苦しい議論が嫌いな人は、今日の記事からは逃げて下さい。
 そんなに高度なことが書けるわけじゃありませんけど。

 言葉の世界における辞書っていうのは、社会における法律に喩えることができる。なんらかの権威主体(法なら国会、辞書なら日本語学会?)があって、生活のためのルールを決めている。これは当然人為的なものであって、全ての主観にとって「完全に正しい」なんていうことはあり得ない。ただ権威主体が「『これこれ』を『正しいと規定する』」っていうだけの話であって。
 ただし、これは法や辞書が無意味・無力であることとイコールではない。法を完全に遵守してるひとは少ないかもしれないけど、完全に無視している人だって滅多にいるもんじゃない。
 例えば。

「信号が赤の時に横断歩道をわたるのは、道路交通法違反。でも、車がまるで通っていなければ、そのくらいいいじゃないか。」

 というのを、日本語の問題に置き換えてみる。

「助詞『れる』ないし『られる』を使って可能を表現するには、五段活用動詞の場合を除き、『られる』を使うのが、辞書的には正しい。でも、『れる』の方が可能の意味が明確になるし、基本的に『れる』でいいじゃないか。」


ミ「……分かりづらいな。」

 要するに「『ら抜き言葉』でいーじゃん。実はそっちの方が便利だったりするんだぜ?」と読んでくれればいいや。

ミ「便利なのか。」

 便利だよ。詳しくは説明しないけど、『ら抜き』の方が意味の混同が起きにくくなってる。「今は認められていないが、『ら抜き言葉』は進化の結果生まれた言葉だ」って、ばっちゃ中学時代の国語の先生も言ってた。
 このとおり、辞書的な正しさの普遍性は、確かに微妙。「犬も歩けば棒にあたる」なんて、棒は元来「災難」の意味だったのが、誤りから転じて「幸福」も示すようになったくらいだし。「あたる」の語感が幸せそうなことから、だってさ。(つまり、良い意味でも悪い意味でも使える様になった。)
 逆に悪い意味を持つように変化したのは「お仕着せ」だな。
 もともとは江戸時代の商家で、奉公人に与えるボーナスみたいな着物が「お仕着せの衣装」だったのに、「おし」が「押し売り」みたいな語感を想像させるせいで「型通りに押し付けられたもの」っていう悪い意味になったらしいよ。平成教育委員会で言ってた。

 ちょっと脱線したな。
 じゃあ今度は、法と辞書が確実に力を持つ場合を考えよう。

「司法によって拘束されている人間が、情状酌量の余地のない状況で故意に殺人を犯したならば、懲役等の罰則が下される。」

ミ「重いな。」

 ごめん。法律は専門じゃないから、「絶対に適用される場合」の上手い例えがみつからなかった。
 次は言葉の例。こっちは軽いよ。

「『UFOを踏みつける』という表現をした場合、世間一般では、『主役を演じる』ことを表さない。」

「なんだこれは。」

 当たり前だろう?

「当たり前だ!」

 法や辞書は、こういう当たり前のことを規定してくれてる側面もあるわけよ。
 そして、複数の主観が食い違い、紛争(もめごと)が起きた時には、ルールという『特別な主観』が、とりあえずの指針を示してくれる。
 お互いにルールを守っていればもめごとは減るだろうし、こちらがルールを守っていれば、もめた時に権威や権力が自分を守ってくれる可能性が高まる。

 で、次の問題が、それらのルールを遵守してさえいれば、もめごとは起きないかということ。
 答えは否。断じて否。
 具体例は面倒だから挙げないけど、世の中には「法整備の不備」だの「法律の抜け穴」だのと嘆かれてる事例が山のようにある。法を守っているからといって、社会的に正しいとは限らない。
 言葉にも同じことが起きる。
 良い例が今回の「どくせんじょう」の話であり、もっと言うなら、人の『誤り』に文句を付けることだって「正しさにこだわってよけいにもめる」ケースだ。
 ルール(辞書的正しさ)を『振りかざす』ことが社会的に好まれるとも限らないし(法や正義を「振りかざす」って、そもそも否定的な意味でしか使われないし)、一般に使われていない「正しい」言葉を使ったら、「それ、間違いじゃないか」と指摘される危険すらある。「正しい意味」で、呆然としてる人を「憮然」と形容したりしたら、「憮然」って言葉を知ってる人の大部分は「誤り」だと感じると思うね。

 で、言葉に関する私の行動指針はどうなのかというと。
 感情的な問題として、「誤り」と知っている言葉は使わない。気持ち悪い。車が通っていなかろうと何だろうと、信号付きの横断歩道なら青信号でわたろうよ、というような主義。(実際の横断歩道では、車が来てなきゃ渡ります。)
 そして、感情的な問題に加えて功利的な問題として、周りに「誤り」と見なされそうな言葉は、辞書的に「正し」かろうと避けておこうとも考えてる。特にブログや脚本のような、表現者として一対多で臨まなければならないステージでは。
 一対一で話してるなら「それ間違いでしょ?」「いやこれでいいんだよ」と言える場合もあるでしょうし、そもそも問題にすらならないことが多いんでしょうけど、一対多だと「あいつ間違ってるな。」と一方的に思われて終わりという危険が、あまりにも大きすぎます。

 辞書的ルールの逸脱に関しても、一対多のときにはより気をつけるというのは変わりません。上と同じ理屈です。
 こうして私は、前回の記事の結論にたどり着く訳です。

 あまりにも誤用が定着した「間違った日本語」を避けるためには、「正しい表現」をこころがけるのではなく、表現自体を避けなくてはいけないのですね。辛いです。

 ガッテンしていただけたでしょうか?
(ギンペイ)
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ニホンゴって難しい
 一昨日の練習会場にて。
 かめさん演じる○○さんが大活躍するシーンの稽古が行われました。

ギンペイ「このシーンは○○さんの『どくせんじょう』だからなぁ。」

かめ「それは『どくだんじょう』って言うんだよ。」

ギ「いや、それは間違いらしいよ。どっかで見ただけだけど。」

か「? でもそっちの方が通じるじゃん。」

 そうなんですよね。
『どくせんじょう』が正しいのか、実はちょっと不安だったので、帰宅して広辞苑で調べてみました。

独擅場(どくせんじょう):
その人ひとりだけで、思いのとおりの振る舞いができるような場面・分野。ひとり舞台。独壇場(どくだんじよう)。〔「擅」を「壇」と誤り、「ひとり舞台」の意から「独壇場(どくだんじよう)」の語が生じた〕
(これはgoo辞書より転載)

『どくだんじょう』と『どくせんじょう』の漢字が違うのは、これまで知りませんでした。

 しかし、「正しい」日本語を使おうとすると却って通じにくくなることって、ありますよね。
 新聞でよく目にするのは「役不足」です。本来は「能力に対して役目が低すぎる」という意味ですが、「役目に対して能力が足りない」という謙遜に使われてしまう。
 でもまぁ、これは「力不足」という正しい言葉に置き換えられる分、タチはいいと思います。

 他には、こんなのがありますね。

流れに棹さす
 正:機会を掴んで時流に乗る。勢いを増す。
 誤:順調な流れに水を差す。

気のおけない友人
 正:親しい友人
 誤:気を許せない相手

カレールー
 正:カレー粉等を固形にした、板チョコ状の調味料。
 誤:カレーライスにおけるソース部分。カレー。
 (カレーの「誤り」を指定しても、マジメに聞いてもらえたことはありません。)

 とまぁ、ここに挙げたフレーズは誤用としての知名度も高いし(最後除く)言い換えも楽だからいいのですが。
 思いつくなかで一番困るのは

   憮然

 という言葉です。

正:失望・落胆してどうすることもできないさま。意外なことに驚きあきれているさま。
誤:怒りをあらわにして、ふてくされるさま。

『正』の方は「呆然」とか「悄然」とか言い換えられるんですが、『誤』の方に適当な言い換え表現が見あたらないんですよ。便利なんですよ。「憮然」の誤用。

 あまりにも誤用が定着した「間違った日本語」を避けるためには、「正しい表現」をこころがけるのではなく、表現自体を避けなくてはいけないのですね。辛いです。
(ギンペイ)
走ってはいたけれど
 最近、ヒマを見つけては近所の河原を走ってます。
 ストレスで太る方なので、社会人になる前に体重を削っておこうとか、体力を少し蓄えておこうとか、まあ動機はそんなところです。
 そもそも昔から足が遅くて、運動部所属で文化部にあまり勝てないくらいのコンプレックス。ちょっと本気でトレーニングしてみようかと。

 ランに関する本をいくつか読んだ結果、どうやらLSDというのがいいらしいという結論に達しました。Long Slow Distance=ゆっくり長時間の運動。減量によし心肺機能練成によしだそうで、最近は往復2時間がメインになっています。
 ゆっくりというのがどのくらいかというと、「人は『走る』という体裁を保ちながら、いかに低速で動けるのか」を実験しているくらい。のんびり歩く歩行者は追い抜くことができますが、ハイペースウォーカーにはまず抜かされるくらいです。
 流石に歩いている人に抜かされるのは気まずい。

 そんなLSDをやっていた一昨日。
 スタートから1時間経って折り返した私は、ふと考えました。

 現在練習中の『よいとこ』では、動揺を示す、スピーディーな「後ずさり」をしたいものだ。
 しかしどうも私の「後ずさり」は、身体がうまく連動しなくて気持ちよくない。
 トレーニングに普段と違う要素を組み込むのは良いというし、ここは後ろ向きで走ってみるか。人も少ないから危険はないだろう。

 そういった思考を経て、私は10分間の逆向きランを自分に課しました。
 進行方向に背中を向けて走る。変な筋肉を使うので、身体によく分からない負担がありました。
 そしてそんな私をみつめる、つぶらな瞳が6つ。

 中年男性×1
 ペットの犬×2 でした。

 彼らは散歩中。
 のんびり後ろ向きに走る私と、ペースがほぼ同じ。
 は……恥ずかしい……。

 しかし、その程度の恥辱に屈するギンペイさんではありません。
 自分に課した10分間、彼らと向き合った状態で走りきりましたとも! ええ!

 もしもあのおじさんに、夕食を共に囲む家族がいたのならば、自分の方を見つめながら走る変な男の話題が扱われていたかもしれません。
(ギンペイ)


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雪は○○○過ぎに……
 雪でしたね。
 交通機関に大きな影響は無かったようで(筆者利用路線にはほとんど影響なし)なによりです。
 少し積もったし、もののあはれ具合が迷惑具合とギリギリで調和した、悪くない降り方だったんではないでしょうか。

 今日も練習がありました。

しろきみち おくれのいづる ゆきふたり
(道が白くなっているなか、人々が予定に遅れている。雪が降ったから。そして遅れて来る。ふたりの「ゆき」さんが。)

ミ「『降った』の意味を持たせたいなら『ふたり』じゃなくて『ふりたり』だろう。この掛詞には無理があるぞ。」

 まあいいじゃん。
(ギンペイ)
いざカ・マ・ク・ラ!
 今日は淡々と。

『ハチミツとクローバー』の竹本君は、ママチャリで宮城まで、その後自転車を乗り換えて北海道最北端まで行きました(多分)。
『よいとこ』脚本担当の千種は、やはり北海道に自転車で行きました。

 ふむ。

 最近、暇な日は走っています。のんびりのんびり、1時間とか2時間とか。
 ヒマだけど筋肉痛が残っている日は、代わりに自転車に乗ります。1時間くらい。

 自転車って、結構楽に動けることが分かりました。
 そういうわけで、横浜市某所から行って来ました。
鎌倉にて

 鎌倉まで。
 思いついた中で一番近い「観光地」が鎌倉でした。(横浜除く)
 箱根は山だから面倒と思ってあきらめたんですが、鎌倉に向かう最中に、教科書の決まり文句を思い出しました。

「三方を山に囲まれ、守りやすく攻めにくい地形」

 山じゃん。

 午後3時発、午後6時着。
 写真で鞄から飛びだしてる白いのは、参照した地図です。
 ライブドアマップでとりだしてプリントアウトした、曲がり角だけ載ってる奴。

 そいつ曰く、片道30キロの道のりだったそうです。で、移動時間は丁度片道3時間くらい。
 スポーツサイクルではなかったので、こんなところでしょう。
 車体が重いのかペダルが重いのかはたまた体力がないのか、起伏が辛かったです。

 出発が遅かったので到着も遅く、観光は全くできませんでした。
 夜9時過ぎに帰り着いた時は、さすがにへろへろになっていましたとさ。
自宅自転車

 付き合ってくれた我が愛車のママチャリシティサイクル。
(撮影は帰宅後、無音、自宅にて。:ギンペイ)

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